東京で開かれた標記のテーマの学習会に参加しました。サブテーマは「いまあらためて地方自治を考える」。講師は、法政大学の廣瀬克哉先生。民主主義が劣化していると言われる昨今ですが、何故、こんな状況になっているのか?身近な問題を例にして、分かりやすく本質問題に迫るお話でした。
レジュメに沿って、先生のお話を簡単に紹介します。
1.消費(依存)で生きられる社会の形成
公共サービスは質も量も向上し当たり前のものになった。町場以外の地区にも一般ゴミの収集が回るようになったのは1950年代後半。「道普請」によるコミュニティの維持は自治体に任されるようになった。公共サービスに「消費者」として依存するのが普通のライフスタイルに、オーナーとしての振る舞い方を経験しない人が大多数に。
2.依存して生きられる社会の限界点への到達
これまでのサービス水準は「これまでのようには」維持できない。年齢構成の変化(支え手と支えられる人の比率の変化)。サービスの種類と量の拡大を人口増が支えられる構造の消滅。担い手になり得る人の不足ははじまっている。PTA役員や自治会町内会長のなり手不足。
3.場を共有していることの責任を実感しているか?
特定の場所には代替はきかない。「不動産消費者」としての意識がそれを忘れさせてしまう。オーナーなのに運用しない行動をどう転換するか?(空家問題の根本)「町を使い捨てるわけにはいかない」としたらどうしていけば良いのか?責任ある生き方としての民主主義の再構築が求められている。
4.市民教育の目標としての「自由を生き抜く実践知」
法政大学憲章から
道具としての実学ではなく、社会的な価値に向けて現場において適切に判断する力「実践知」を創出しつづける。
以上がお話の概要ですが、単なる制度論、改革論ではない、その根底にある精神のようなものが伝わってきました。民主主義のバージョンアップのためには、多数決民主主義から、まさに主権者ひとり一人が問われる時代に突入したのだと思います。
テーマであるフォロワーシップの転換とは、「社会や人のために、真に自由な思考と行動を貫きとおす自立した市民」(法政大学憲章から)が求められているのだと思います。
学習会に行く途中のお堀端の桜は、ほとんど葉桜になっていました。

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